どもくとや翻訳記録

外国語ニュースの翻訳記録

※直訳ママ後で修正※モンゴル語【2020-04-29】治療中に「アンハ・オトゴン(最初の末子)」と出会い、英語の挨拶では反応がいまいちだったがフランス語の挨拶では目に涙を…(前編)

元記事はこちら。

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長めの記事なので、前後編に分けました。

 

治療中に「アンハ・オトゴン(最初の末子)」と出会い、英語の挨拶では反応がいまいちだったがフランス語の挨拶では目に涙を…(前編)

新型コロナウイルス感染者38人がモンゴル国で発覚してから10人が回復し、国立感染病研究センターを退院している。

最近モンゴル人が「アンハ・オトゴン(最初の末子)」と呼んでいたフランス人は完全に治癒し、退院したことは多くの人々を喜ばせた出来事となった。

そして、フランス人の後にCOVID-19に感染したモンゴルの最初の3人の内1人の、体調が最も悪いといわれていた女性はいくらか回復し、病院外で14日間の隔離を終え帰宅した良いニュースがある。

現在名前を公開することを望まないが具体的状態の面で国立感染病研究センターの医師と職員についてと、どのように闘病したかという面でそれを本心から語り、歴史を分かち合った。

 

——まず、全世界を巻き込んでいる危険なウイルス感染を克服し、回復したことにお祝いを述べたいと思います。 退院してどれくらい経ちますか?

——ありがとうございます。 4月7日に退院し「エンフ・サラン」休養施設に14日滞在し、自宅隔離が始まって7日経っています。 感染は全治し、COVID-19の抗体ができたと医師は言いました。 そうすることで今は再び感染拡大せず、また感染しなくなりました。

——フランスからモスクワ経由で帰国したと。 ヨーロッパ在住モンゴル人は故郷に帰るフライトは無く、困難な状態です。 ヨーロッパから国民を乗せたたった一つの飛行機にどれだけの人が乗って来れたのかについて話してくれませんか。

 

——ヨーロッパにいるモンゴル人の状況は現在本当に困難です。 立った一機のその飛行機に詰め込まれて帰国した私の運命はほんのわずか(の確率?)です。

 

私はフランスの学校で学び、6年生活しました。私のビザ有効期間は2020年3月29日に切れるところだったので27日に発つために搭乗券を予約してしまったのでした。 しかしコロナウイルス感染予防と関連してモンゴル国の全フライトはキャンセルになってしまいました。 当時フランスではコロナウイルス感染者が日に日に増加し1700人を超えてしまったのに、わがモンゴルを思うと非常に遅くなってから処置を取っていることは明らかでした。

こうしてフライトはキャンセルし、特別フライトが飛ぶようになったことについてのニュースを駐フランス大使館のウェブサイトで知りました。 これに従い大使と連絡した際、「行くのが良いです。ここに残ると言っても、あなたのビザをどれくらい延ばすか決めるのは今は不明なので」と。

その時にヨーロッパから戻る人々は皆ドイツに集まり、そこからモスクワ経由でモンゴルに行かなければなりませんでした。 私に関しては、搭乗券は「アエロフロート」で予約してしまったためMIATと連絡して、パリから直接モスクワに入ることになりました。

——当時状況は現在の状況より比較的良かったですよね?

 

——パリ中心部からモスクワへ行く途中、空港職員を考慮に入れないならば、マスクをした人にはほぼ会いませんでした。 彼らの間でマスクをし、防護服を着て、自身を最も良く守っていたのはアジア人だけでした。 特に韓国人は非常に予防しており、飛行機で飲食をせずに良く予防していたのをヨーロッパ人はまるで理解せず、厭そうにする傾向にありました。

 

パリでもモスクワでも、その境界上で私たちの体温を全く検査しませんでした。 モスクワからモンゴルへ行くドア上に来た際しか、きっちりとマスクをしたモンゴル人が大勢搭乗していたのを直接見ました。 大使より出発する人々に課された高い要求に従い、全員がマスクをし、数人が手袋をし、非常に責任がありました。 そこからのみモンゴル人は少数という自覚をし、予防の必要性を心から受け止めていることを感じ、温かい気持ちを感じました。

——武漢より帰国した学生たちはまさに自分たちを帰国させるために来た飛行機に乗る小さい子を見て喜んでいたのを分かち合いました。 その時本当に喜んでいたのかと思われます。 どんな感想が生まれていたのかをシェアしてくれませんか?

——もちろん。 「この人々はモンゴルから思って私たちを連れて帰ろうとして来たんだ」と思い、鼻をすすり自分の権利無く????、泣きたくなりました。そこにいた全員が同じ気持ちが生まれたことについて話していました。

どうしたことか、日本などの大国は国民を帰国させるといった情報を出していました。 しかし私たちの国のように国民を連れ帰ろうとして来たこのような小国は本当にありません。 

モスクワに来て私たちを連れ帰るために来た白い服を着た人々を見て非常に期待し、「この後に何も起こる心配はない」と大きな信頼がそこから生まれ、ほっとしました。

彼らは真っ白な防護服を着て並んでいた人全てを名前順に呼び、質問を記入させ、熱を測りました。 その後に飛行機のドアを通って入る前にきちんと熱を測り、マスクと手袋を交換してくれました。

 

(後編に続く)

 

зөрөх すれ違う/異なる、一致しない

нулимс цийлэгнэх  涙を流す、涙をこぼす

арлах 広告する、公布する、表する

тэрбээр ???

тусгаарлалт 分離、孤立

хувь тавилан 運命、宿命

гэл 小さい

цуцлах 無効になる、キャンセルする、破棄する

давах 越える、超過する、上回る/克服する

арга хэмжээ 対策、処置、措置/非難、刑罰

арга хэмжээ авах 処分する、罰則を与える

цуглах 集まる、溜まる

харьцангуй 比較的、相対的

эс+動詞 ~でない

тооцох 念頭に置く、考慮に入れる

битүү 濃い、いっぱいの、もじゃもじゃした/密着した

конбинзон 防護服?

төвөгшөөх 厭になる

хандлага 傾向/物事や関心に対する心構え

тусах 当たる、照らす

хариуцлага 責任

цөөхүүл 少数

ухамсарлах 知覚する、意識する、自覚する

хандах 向かう/物事を扱う、受け止める

болов уу (自問)~なのかな?

сэтгэгдэл 感想、印象

огших ???

найдвар 期待、信頼

айлтгүй 心配がない

сэтгэл уужрах ほっとする、落ち着く

цав цагаан 真っ白、非常に白い

ээлжлэх 交代する、当番をする

бөглөх 記入する、書き込む/塞ぐ、詰める、はめる