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ブラガド(Bulagaty)『ブリヤートの伝統衣装』(2017)より

ブリヤート共和国国立歴史博物館編(2017)『ブリヤートの伝統衣装』より

 

ブラガド[ブリヤート語:Bulagad, ロシア語:Bulagaty]

 ブリヤートの中で拡大した氏族連合はブラガドであった。アンガラ川上流、また支流のクダ川とイルクート川がブラガド形成の発端の領域だった。正に19世紀のこの領域に、全てのブラガド氏の中の「より古い」系統が住んでいたのだ。アンガラ沿いのより下流、その支流イダ川、オシ川、ウダ川、ウンガ川、ザララ川の盆地を占めていた他の氏族グループは、少し遅れて全ブラガド氏族連合に加わった。このことは、全ブラガド氏の親族における彼らの立場がトゥガラク(Tugalak)の孫やひ孫のようであることを反映している。17世紀頃までにブラガドの氏族たちはさらに西方、南方、東方に分布した。

 発展した系譜の伝統がブラガドに形成された。そこには古い氏族としてアラグイ(alagui)、フルフト(khurkhut)、ダルハイ(dalkhai)、ゴトル(gotol)、アシバガト(ashibagat)が構成員に数えられた。系統樹によると残りのブラガド氏族たちはアラグイとフルフトの弟トゥガラクの三男サガン(Sagan)の息子の子孫である。ブラガド氏の数には、ブイン(buin)、シャラルダイ(sharaldai)、ブバイ(bubai)、ホゴイ(khogoi)、オンゴイ(ongoi)、オンホトイ(onkhotoi)、ホルトゥバイ(kholtubai)、イルヒデイ(irkhidei)、オルゾイ(olzoi)、ムルイ(murui)、フルメンゲ(khulmenge)なども含まれる。

 ブリヤートで形成していた行政単位から19世紀のロシア帝国にブラガトはクディンスク、イディンスク、バラガンスク草原会議、アシェバガツクとキトイスク管理局の主要な居住民を成した。ブラガドはセレンギンスクとトゥンキンスク草原議会、ザカメンスク管理局と下ウディンスクの地においてかなり多くの割合を占めた。こうして、ブラガドはこのような民族領域の集団―クディンスク、イディンスク、バラガンスク(ウンギンスク)・ブリヤートのような―において絶対多数占めた。同様にブラガドは下ウディンスク、キトイスク、セレンギンスク、トゥンキンスク、ザカメンスク・ブリヤートの構成中にもいた。

 現代、ブラガドはイルクーツク州のエリヒト・ボラガト、ボハン、オシン、ヌクト、オリホン、イルクーツク、アンガルスク、ウスチ・オルダ、ジミン、ザラリンスク、下ウディンスク地区に、ブリヤート共和国のザカメンスク、セレンギンスク、ヂディンスク、キャフティンスクそしてイヴォルギンスク地区に居住している。ブラガドの少数の集団は民族的ブリヤートの外の地区やモンゴル国にも居住する。

 この氏族集団にとって、象徴的に呼ばれる衣装は「ブラガド風の(bulagatskii)」として特徴づけられた。